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言葉はちっぽけだから。

キスマイと中村さんが好きな人。

映画「虐殺器官」

Movie Other

2月3日公開されたばかりの、「虐殺器官」を鑑賞してきました。

project-itoh.com

今回、中村さんがCV担当しているということで興味を持ち、当初は劇場まで足を運ぼうと思っていなかったのですが、先日深夜に放送されていた関連作品「屍者の帝国」を見て、これは絶対劇場で見たい!という思いに駆られ行ってきました。
映画を見て、原作を読みたいという思いが湧き出て。原作を読んでからにしようかとも思ったのですが、忘れっぽいので、今この忘れぬうちに映画の感想を書こうと思います。

虐殺器官」というタイトルを見るに、とても残虐なぐろいお話かと思いきや、まぁもちろん残酷なシーンもあるんだけど、それにはすべて意味があって、とても文学的な作品でした。村瀬監督が「なるべく伊藤計劃氏の言葉を削りたくなかった」というようなことをおっしゃっていたと聞いたのでそれも影響しているのかなと思いますが、紡がれる言葉一つ一つがとても文学的で哲学的でした。

今私たちが当たり前と思っていることに、ふと疑問を抱くこと。抗えないと思うことが本当に正しいのかと立ち止まること。戦争とは、平和とは、幸せとは。よく考えることだけど、同時に考えることをやめてしまうことだな、とも。私の言葉足らずが悔しすぎるけど、このぐるぐる巡る感情が、とても心地よい重さで、思考が広がっていくような気がするのです。

そして、伊藤計劃という人物に出会えたことに感謝。
アニメと原作では違いがあると思うし、まだ原作を読んでいない今、まだ本当の意味での「出会い」ではないとは思いますが、彼の描く世界観がとても興味深い。それは、「屍者の帝国」で感じた部分でもあるけれど。ビジネス書や伝記、漫画以外で久しぶりに「読みたい」という感情が湧き出ました。何より、私はSFに全く興味がないので、自分にとても驚いています。

さらに、人生何事にも意味があるのだな、と改めて。
そもそも、今年私がDGSラジオに狂ったようにハマらなければ、そしてそこにゲストに中村さんが来ていなければ、私はきっと深夜2時まで起きてアニメーション映画を見ようと思わなかった。偶然が必然にみえるのは、そこに主観の視点が加わるが故、とどこかで読んだことがあるけれど、それでも私はこの偶然は、なにかに誘われた出会いではないかと思わずにはいられません。

ジャニヲタになって、映画等は公開一週間以内の動員数が大きく影響すると知りました。本当かどうかは分からないけど、好きなもの、見たいものは早めに足を運んで、貢献したいと思っております。

ちなみに、今回劇場に行くと【朗読ボイス付クリアしおり】がもらえます。朗読は、中村さんと桜井さんのランダムなんですが、私は見事中村さんを引き当てました!イェイ♥ やっぱり素敵な声で贅沢。

☆以下ネタバレ含んだ個人メモ的な感想です☆
論理的な解釈とか、深い考察とかしておりません。感情のままに感じたことをメモ書き程度に残してますので、あしからず。

予告編動画、ご興味ある方は是非映画館へ!


「虐殺器官」新特報 第2弾


先日、ラスコーの壁画に思いを馳せ、二万年前も今も、人間は同じことをしているんだなと思っていました。集落を作り、食べ物を食べ、絵を描く。二万年前のヒトも、21世紀のヒトも同じなんです。だが、しかし。
道具こそ発達しているものの、その一方でヒトの脳は本当に進化しているのか、実際は退化しているのではないか、と。ヒトはテクノロジーの発展により、自分自身で考える力、イマジネーション、工夫をする力等脳みその「使わない部分」が増えているのではないかな、と。

そんなことを考えたりしていたのですが、今回の描かれた世界は、近未来。ヒトは、テロを避けるためにテクノロジーを発展させ、感情をもコントロール世界を作り上げる。すべて管理・監視し、守られる世界。考えないのか、考えることを許されないのか。
守られているはずの世界は、戦いが勃発し、それは一人の青年が引き起こしているという。
扇動され、殺戮を繰り返す国の鎮圧に、また人は争う。その痛みからヒトを「守る」ため、ヒトは感情をコントロールする。「ヒトを殺す」ことに痛みを伴わないように、「仕事だから」と割り切れるように。

以前、閉鎖的な状況化における人間の残虐性を揶揄した記事を読んだことがある。大元としては、ミルグラム実験の話である。*1大義名分を与えられること、権利の保障を得られると、ヒトがヒトの想像以上に残虐になれるのは、一種の防衛本能なのかもしれないし、これがあるから人ヒトは戦争ができるのかもしれない、とも思う。

作中、リーランドの死は、あの時代の世界観をとてもよく表現していた。演者である石川界人さんが、「リーランドは時代に適応している人の象徴」と表現していたが、あのシーンは私もそう感じた。死の直前まで恐怖も、痛みも感じずにとても明るくこと切れる。痛みがない、フラットな感情で生きていることを、最後まで疑わない人だった。

虐殺王とまで言われた、ジョン・ポールには、彼なりの理屈がある。それはもちろん、決して理解されるべき理屈ではないのだけど、彼にとって「守ろうとした世界」言葉を借りるならば、彼が選んだ「自由」でもあったわけで。クラヴィスの友人(同僚?)であるウィリアムズが、一番人間らしいキャラクターだなと思う一方で、私はジョン・ポールのゆがんだ正義や贖罪の意識も、とても人間らしい感情だなと思った。

ラヴィスは、、、なんだろう。とても普通の人だった。任務に忠実ながら、新しい感情に揺さぶられていく。彼に執心される女がうらやましい、というゲスな思いも見え隠れしたけど、その固執がクラヴィスの人間らしい感情の象徴でもあり。正直、映画では描き切れていないであろうクラヴィスをもっと深く知りたいというのも、原作を読みたい理由のひとつでもある。

私は、言霊を割と信じている方なので、「虐殺の文法」の存在はとても興味深かった。ヒトに与えられし知能のひとつが言語でもあるわけで。しかし、もし言葉に人を誘う力があるのだとすれば、それは明るい未来への扇動であってほしいと思う。願うだけの自分だからダメなのかな。。。

改めて自分の語彙力のなさに絶望するけど、原作がとても楽しみです。

*1:興味のある方は時間があるときにWikiで調べてみてください