言葉はちっぽけだから。

キスマイと中村さんが好きな人。

したいこと、したくないこと。

先日、久しぶりに友人と会った。

懐かしい話くらいしか接点がないので、終始思い出話になってしまったが。

 

さて、その友人は、いろんな友人と繋がることが出来るからfacebookを始めたという。そこに、色んな自分の思いを書いて、またみんなと繋がりたい、と。でも、職場の人や比較的懐かしくない人たちには知られたくないそうだ。

書かなきゃいいのにね、って身もふたもないことを思ったけど、正直分からなくもない。

発信したい欲求と知られたくないという気持ち。ネットって矛盾だらけだ。

 

私の友人には○○は使ってるけど、☆☆は使いたくない、と分けて考える人が多い。

なんとなく面白い。

 

私は、案外新しいものが好きなので、「とりあえずやってみる」精神で結構色々使っていた。
昔はYahoo!のジオシティズでHPを作っていたし、SNS が広まってからは、mixi , cyworld, myspace, facebook, twitter, アメブロアメピグInstagram, などなど。

 

でも今も続けて使っているのは、少数。

趣味で活用できるもの(Twitterとこのブログ)と結果的に残してるのもの(facebook)。

 

飽きやすい性格というのも理由だけど、「会った時にちゃんと自分の言葉で発信したいから」というのが大きな理由だった。

文才の有無は抜きにして、私は元々文章を書くのが好きなので、独り言のように楽しかったことや、自分の考えをまとめてブログやら日記やらで書いていた。どこに言って、何をして、自分がどう思ったか。

SNSはとても便利だ。

数年会わなかった友人達の近況が、手に取るように分かる。今の私を遠く離れたみんなに知ってもらえる。

でもそれって、私にはそんなに楽しいことじゃなかった。自分が発信してることなんだけど、話したいことを、知らないうちに相手が知っていることが、私にとって「じゃあ話すことないな」を積み重ねていたわけだ。

 

前述の、SNSを選ぶ友人達を、同じインターネットである以上リスクは同じなのに、なんであれは良くてこれはダメって思うのかな?と不思議だった。

しかし、ふと、リスクではなく、やりたいことや目的ごとに選択してるのかなと思った。

 

私は、Twitterの刹那さが好きだ。

今をTLで共有し、流れていくことが気に入っている。

ブログは、残ることが好き。

留めておきたいこと、反芻したくなること、そんな気持ちを文字に起こしておきたい。

 

そして、Instagram

これも残すものなんだけど、不特定多数に発信したいもの、のような気がする。

一種の承認欲求なんだろうか。

友人にではなく、知らない人に向けて、自分の日常を発信したいのは、新しい繋がりやコミュニティを求めてるのかな?

 

自分のWANTSに合わせてNEEDSを探すことって楽しいけど不自由だな、というのが冒頭の友人の話を聞いていて思ったこと。

本当、ネットは矛盾ばかりだ。