言葉はちっぽけだから。

キスマイと中村さんが好きな人。

舞台『野鴨』

当日券という手があったな、と思って申し込んでみたら当選。
観れないと思っていたたいぴの舞台を観ることが出来ました~

nogamo2022.com

普段、原作も含めてネタバレをあまり好まないのだが、舞台観劇の際は少し悩む。
複数回みたい気持ちとは裏腹に、観劇に限りがあること、凝縮された時間でどれくらい理解できるかと感じるからだ。

特にいわゆる「推し」が出ているものは、良くも悪くもその存在に感動していしまって内容が入ってこなかったり、詳細をくみ取れないことも多い。
「なんか難しかったけどかっこよかった」なんて小学生でも書かない感想文を書いてしまうことがおちだ。

とはいえ、前評判を詰め込んだところで理解度は変わらんだろう、と思い当初の予定通り真っ新な気持ちで向かい合うことにした。

要塞のような世田谷パブリックシアター
そこで紡がれる物語は果たしてどんなものか。

※以下ネタバレ含んだ感想です


分かりやすい貴族のごたごたではあるものの、主人公グレーゲルスはメンヘラなの?と幕間で思った程度に着地点が難しい。
正義病な、、、現代にも蔓延している病気だよなぁと思った。演出の上村さんのインタビューにもあるけど、自らの正義軸によって、人を追いつめ糾弾する場面をまさについ最近ネットで見ていたところでもあったから、その忌々しさたるや、たいぴへの愛をもってしても、狂気というよりはとにかくむかつく男にしか見えなかった。ある意味、グレーゲルスをしっかり演じ切っている。
何をもって正義とするかは、人それぞれで、その正義を振りかざし別の正義と対立する。きっと何百年と人が繰り返してきた対立なのであろう。

真実を伝えることが果たして正義かどうか、真実を知った上で積み上げる関係性が美しいものであるのかどうか。端々な言葉に引っかかるところがあり、私の頭が仕事をしていないことを証明した感じ。作中では『理想の要求を売る』が一番分かりづらかったかな。キーワードでありながら理解しづらい。。。脳みそよ。。。

理想を追い求めること=狂気で、現実と向き合い嘘を飲み込んだり、真実から目を背けても幸せになろうとすること=普通である世界。創られた幸せは本当の幸せではないのか。
真実を積み上げそこを乗り越えてこそ真の幸せがあるとグレーゲルスが信じる理由は、やはり時代背景にもある上流階級にありがちな家庭内不和、父による母への裏切りなんだろうか。
真実を告げた時、相手だどんな思考に陥るか、どんな行動をとるか、グレーゲルスはそこを想像しないのか、出来ないのか、それをも乗り越えた理想を打ち立て縋っているのか。真実を打ち明けた後の相手の行動に心底異を唱えているので、まぁそれはそれで病気なのかな、と思ったけど、目の前にいたらぶち殴りたくなる嫌な奴だった。
理想を掲げ、それを壊されることで「理想なんてないんだ」という欲求を満たしているのだとしたら、屈折しすぎているし、なんて悲しい証明だろうか。
ただ、こうして文字にしても「知らないことが幸せ」かどうかというのは難しい問題かもしれない。真実から目を背けて、嘘を飲み込み、それを知った上で自分は笑えるのだろうか、笑うことが「正しい」のだろうか。子供をも巻き込む正義の貫きには狂気性を感じたが、そのたいぴの表情が悪魔的でよかった。

結局物語は悲劇で終幕となるわけだが、その結果はグレーゲルスにとって何を感じさせたのだろう。
掲げた銃口とともに、彼は何を思うのか。

しかし、あれ程嫌だった髭面も、アイドルを脱すると気にならない。燕尾服も相まって非常に良い上流家庭育ちのおぼっちゃまだった。